デビューアルバムの最新リマスタリング 高橋ユキヒロ『サラヴァ!』好評発売中!

アーティスト紹介

ソロデビュー40周年を記念して、デビュー・アルバム『サラヴァ!』が最新リマスタリングで甦った。高音質UHQ-CD、ハイレゾ配信、LP重量盤の3形態で同時リリースされている。

これは、小池光夫により、オリジナル・マスター・テープから最新デジタル・リマスタリングが施され、初の高音質UHQ-CD仕様でリイシュー! 坂本龍一の贅を極めたオーケストラ・アレンジが華を添えた、高橋ユキヒロ、ソロ第1作。パリを舞台に繰り広げられるアンニュイでゴージャス、洗練された美意識で綴られる物語の数々。山下達郎吉田美奈子も参加し、超一流ミュージシャンが総結集したジャパニース・シティ・ポップスを代表する名盤中の名盤だ。


リリースに際し、本人からコメントも寄せられている。                                                                       

「聴きかえしてみると、
なんだか懸命に枯れたがっている自分がいて、
それが逆に若いというか青いというか。初々しくもあり、
恥ずかしくもあり。そんな20代半ば、だったのでした。」

(2018年9月 高橋幸宏)

 

 

 


CD 『サラヴァ!』2018年最新リマスター/高音質UHQ-CD仕様

【品番】KICS-3743【定価】¥2,300+税
【収録曲】
1.  VOLARE(NEL BLU DIPINO DI BLU) ボラーレ
2. SARAVAH! サラヴァ!
3. C’EST SI BON  セ・シ・ボン
4. LA ROSA ラ・ローザ
5. MOOD INDIGO ムード・インディゴ
6. ELASTIC DUMMY エラスティック・ダミー
7. SUNSET サンセット
8. BACK STREET MIDNIGHT QUEEN ミッドナイト・クイーン
9. PRESENT プレゼント


配信 『サラヴァ!』■通常■ハイレゾ■サブスクリプション

・ iTunes Store、レコチョク、mora他主要配信サイトで配信。
・Apple music、LINE MUSIC、Spotify等の定額制音楽配信サービス及び、e-onkyo music、mora、gloovers等のハイレゾ音源配信サイトでも配信!


LP 『サラヴァ!』(180g重量盤・完全限定プレス)

【品番】FJLP1007
【定価】3,500円+税
【販売元】ディスクユニオン


■ クレジット

Rtythm Arr:高橋ユキヒロ
Brass,Strings & Keyboards Arr:坂本龍一
Vocal:高橋ユキヒロ
By the Courtesy of Victor Invitation

■ 演奏

坂本龍一:Keyboards(A.Piano,Fender Rhodes,KORG PS-3100, Arp Odessey,Hammond Organ)
細野晴臣:E.Bass-By the Courtesy of Victor/Alfa
高橋ユキヒロ:Drums-By the Courtesy of Victor/ Invitation

松木恒秀:E.Guitar(M-2,4,6,7)
鈴木 茂:E.Guitar-By the Courtesy of Crown Records(M-1,3,4,8,9)
和田アキラ:E.Guitar-By the Courtesy of Polydor Records(M-7,8)
高中正義:E.Guitar-By the Courtesy of Victor Invitation(M-9)
加藤和彦:A.Guitar-By the Courtesy of Toshiba EMI/Doughnut Records(M-2,4,5)
大村憲司:E.Guitar(M-4)
斉藤ノブ:Percussion(M-2,7)
浜口茂外也:Percussion(M-1,3,4,5,6,8,9)
林 立夫:Percussion(M-4)
今井 裕:Percussion-By the Courtesy of Victor/Invitation(M-4)

ラジ:Chorus-By the Courtesy of CBS/SONY INC.(M-1,3,7,9)
BUZZ:Chorus(M-3,7,9)
山下達郎:Chorus-By the Courtesy of RVC Records(M-6,8)
吉田美奈子:Chorus-By the Courtesy of RVC Records(M-6,8)
秋川リサ&Friends:Clapping(M-6)

■ ライナーノーツ(天辰保文)

この『サラヴァ!』は、高橋幸宏の初めてのソロ・アルバムとして大きな価値があるが、と同時に、日本のポップ・ミュージックを考える上でも重要な、少なくとも語るべきところが沢山あるアルバムだ。1978年6月、高橋ユキヒロの表記で、キングレコード傘下のセブン・シーズ・レコードから発売された。セブン・シーズは文字通り、7つの海にまたがる全世界の優れたレコードを紹介するのを目的に、1963年、キングレコード内に設立されたレーベルだった。

いまでも、ソロとしての活動はもちろんだが、小山田圭吾や TOWA TEI などとの METAFIVE、鈴木慶一との THE BEATNIKS、原田知世や高野寛や高田漣たちとのpupa等々を通じて精力的に活動する高橋幸宏だが、サディスティック・ミカ・バンド解散後の1976年、高中正義、後藤次利、今井裕と一緒にサディスティックスを結成、フュージョン・ブームというか、クロスオーヴァーというか、新しい音楽の流れを引っ張る形で活躍していた。

「当時、ぼくの仲間たちも続々とソロ活動が活発になってきた頃で、スタジオの仕事ではない、自分のオリジナリティみたいなものをやってみたい、それには良い時期かなと」。

それが、きっかけとなってのレコーディングとなった。1978年と言えば、ニューミュージックと呼ばれる人たちがヒット・チャートを席巻し、レコード市場の過半数を超えるまでに至っていた頃だ。

「そういった中で、ニューミュージックと呼ばれるものじゃない、ジャンルに関係ないものを作りたかった。いまで言うところのエレクトロニカルなものがあり、ソウルっぽい要素があったり、当時はヨーロッパ志向がぼくの中で強かったので、そういったのも加えて、いろんなものが混沌としていても良いような、でも、何処にもないようなものが作りたかった」。

『サラヴァ!』とは、語源はポルトガル語で、「あなたに幸がありますように」という意味があるらしい。もっとも彼は、クロード・ルルーシュ監督の出世作となったフランス映画『男と女』の中で、ピエール・バルーが歌う「サンバ・サラヴァ」からとったそうだ。バルーが主宰していたレーベル名、“サラヴァ”も、もちろん念頭にあっただろうが、ともあれその後バルーと、互いのアルバムで共演し合い、深く関わり合うことになるとは、当時は思いもしなかっただろう。

映画『男と女』や『パリのめぐり逢い』、それらで音楽を担当していたフランシス・レイ、他にも当時はフランス映画や音楽への憧れが強く、レコーディングこそ東京だが、ジャケットのための写真は、フランスのパリで撮影された。レコーディングを終えた直後、写真家の鋤田正義とパリに飛んでの撮影だった。

ジャケットを飾るのは、コンコルド広場でたたずむ姿で、その裏表紙にあたる写真は、エッフェル塔を臨む早朝のシャイヨ宮で、ル・モンド紙を読んでいる写真が使われている。他にも、サンジェルマン・デ・プレやルクセンブルク公園、あるいはその近辺のブティックでの写真が、随所に使われた。季節は、3月か4月頃で、明け方4時半頃の撮影だったらしく、とにかく、寒かったのを覚えているそうだ。

アルバムのレコーディングは、高橋幸宏本人が、ボーカルにドラムス、リズム・アレンジを手掛け、坂本龍一が、キーボードをはじめとして、ストリングス、及びキーボードのアレンジを担当、ほとんど2人の主導で進められた。

坂本とは、日比谷野外音楽堂で会ったのが最初だった。高橋はミカ・バンドで出演し、坂本は山下達郎のバックでキーボードを弾いていた。その後2人は、いろんなレコーディングやライヴの現場で顔を合わせ、プロデュースやアレンジを一緒にやる間柄になっていく。そして、毎晩のように一緒に飲んでいた。参加ミュージシャンも、坂本と相談しながら選んでいった。もちろんその中にはもう一人、その後の高橋幸宏にとって重要な存在となる人物がいた。細野晴臣だ。

細野は大学生、高橋は高校生で、お互い異なるバンドで活動しているときに軽井沢で会ったのが最初だ。それ以来、彼に、大きな影響をもたらしていく細野だが、ここでも、初めて歌という行為に向き合った彼は、細野の歌い方などを参考にしたという。そして何よりも、この『サラヴァ!』のレコーディングに入る直前まで、細野の『はらいそ』で、坂本と一緒に参加、レコーディング・スタジオも同じ、伝説のアルファの A スタジオという運命めいたものがあった。

ともあれ、坂本、細野の他には、ギターに松木恒秀、大村憲司、鈴木茂、高中正義、加藤和彦、和田アキラ、パーカッションに林立夫、斉藤ノブ、浜口茂外也、今井裕、コーラスにラジ、山下達郎、吉田美奈子、クラッピングとして秋川リサの名もある。素晴らしい顔ぶれだ。その後、彼岸に渡った人もいるが、40年経ったいまも現役で、それも最前線で活躍しているミュージシャンも多い。むしろ、ほとんどがそうなのに驚かされるし、見事な演奏にはため息がでるくらいだ。

例えば、「ここのギターは、誰が最適だろうか」、坂本と2人でいろいろ話し合いながら選んでいったらしい。松木恒秀に従事し、その後フュージョン・グループ、プリズムを組んでいた和田アキラも、坂本が、ジェフ・ベックのようなギターが欲しいということで浮かんだギタリストだった。

スタジオのテクノロジーに関しては、現在と隔世の感があった時代だ。

「例えば、ポラード社のシンドラムがやっと出てきたばかりでね、「バック・ストリート・ミッドナイト・クイーン」のレコーディングで1個借りて、プン、プンというのが入っているくらいです。この1年後には、ぼくは YMO でシンドラをずらっと並べてますもんね。コンピューターもないから、シンセサイザーを、教授(坂本)は手弾きでやって、それがすごくてね、海外でも驚嘆の声があがってました」。

幕開けとなる「ボラーレ」は、イタリアのカンツォーネ歌手ドメニコ・モドゥーニョが、1958年に発表したのがオリジナルだ。1958年のサンレモ音楽祭の受賞曲で、同年8月、ビルボードの全米チャートでも1位に輝いた。翌59年は、アメリカでグラミー賞が設立された年だが、その第1回のグラミー賞でも、ソング・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーに輝いている。1989年にはジプシー・キングスがカヴァーして、リバイバル・ヒットさせ、日本でも広く親しまれるようになったが、もちろん、その10年も前のことだ。

「セ・シ・ボン」は、シャンソンのスタンダードとして知られているが、彼は、イヴ・モンタンのものを参考にした。映画『パリのめぐり逢い』ですっかりファンになり、この「セ・シ・ボン」を取り上げたようだが、日本語で高英男が歌っているのにも惹かれた。殊に、戦後日本で新しい文化の推進に尽力した中原淳一の日本語の歌詞が気に入ったらしい。「あの甘い風の夜に、マロニエの白い花が散り、お前とめぐり逢った」という箇所が、彼の心をつかんだ。その頃のパリは、マロニエの花が咲き誇っていて大好きな季節らしい。しかも、このシャンソンの「セ・シ・ボン」を、彼は、誰もやっていないようなアレンジでやってみたいと、レゲエでやってのけたのだ。

「ムード・インディゴ」は、デューク・エリントンの作曲だ。もともとは、エリントンの「ドリーミー・ブルース」に、1931年、バーニー・ビガードとアーヴィング・ミルズが歌詞をつけ、「ムード・インディゴ」として再生した。以降、ジャズのスタンダードとして親しまれるようになる。好きな女性に去られ、「もう、ブルーな気分どころじゃない、誰も気にかけてくれないし、寂しくて死にたいくらいだよ」と、沈む気分を歌っている。それを彼は、エキゾチックで、古いハリウッドのフルバンドを思わせるオリジナル・サヴァンナ・バンドのようにやりたいということで、都会人ならではの遊び心を加え、一味異なる「ムード・インディゴ」に仕上げている。

スティーヴィー・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』を愛聴していたことから、その影響がうかがえるという「サンセット」は、ここでも人気が高い曲の一つだろう。加藤和彦とのヨーロッパ志向が共作という形で実った「ラ・ローザ」、ここでの坂本のハモンド・オルガンといい、細野のベースといい、圧巻としか言いようのない快演だ。アース・ウィンド&ファイアーのような感じがリズムにあるかもしれないという坂本のインストゥルメンタル・ナンバー、「エラスティック・ダミー」、そして、アルバムを締めくくるにはこれ以上はない絶品の「プレゼント」で、ソングライターとしての未来を覗かせながら、高橋幸宏初のソロ・アルバムは幕を閉じる。

この『サラヴァ!』が発売された1978年を振り返ってみると、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」で、竹内まりやが「戻っておいで・私の時間」(高橋ユキヒロは、ここでドラムスを叩いている)でデビュー、ピンク・レディーが、チャートの年間ベスト・スリーを独占するという年だった。

キャンディーズが後楽園球場で解散コンサートを行い、そこで、矢沢永吉が単独公演を行った。その矢沢は「時間よ止まれ」を、サーカスが「Mr. サマータイム」をというように、他にもコマーシャル・ソングを通じて沢山のヒットが生まれた。フォーク、ロックや歌謡曲のクロスオーヴァーが進み、ニューミュージックと呼ばれる人たちが、ヒット・チャートを席巻した。それが、1978年だった。テレビで音楽番組『ザ・ベストテン』の放映が開始されたのも、この年だ。

そうやって巨大化するニューミュージックに少なからずかかわることになったのが、はっぴいえんど解散後、ティン・パン・アレイを率いて、荒井由実(松任谷由実)のレコーディングなどに参加していく細野晴臣だった。高橋幸宏、坂本龍一も、その例外ではない。それどころか、高橋幸宏は、寝る暇もないほど多くのレコーディングやライヴでドラムスを叩いた。いっぽうでは、欧米の新しいパンク、ニューウェーヴの動きに呼応する形で、東京を中心に新しい息吹がきこえ始める。

簡単に言ってしまえば、そういう時代だった。欧米の音楽の影響から、自分たちならではの音楽を模索しながら、欧米の音楽がいろんな形で根強く残っていたのが、1970年代の前半から半ばにかけてのポップ音楽の世界だった。だとすれば、そこから抜け出し、欧米の同時代を感知しながらも、新しい個性による多様化が大きなうねりを作りながら進もうとしていた。古い時代を遡ったかと思えば、ジャマイカから沖縄まで多彩なリズムを取り入れ、エキゾチックで、無国籍な音楽がいろんな形で可能性をみせたのも、この頃だった。

細野晴臣、坂本龍一、そして高橋幸宏、この3人も正しくそうだった。余りにもかけ離れた個性で、とても同じバンドを組むとは考えられないような3人が、細野の『はらいそ』で集まり、そのまま高橋の『サラヴァ!』になだれ込む。『はらいそ』の中の「ファム・ファタール〜妖婦」のレコーディングを終え、そのときのスタジオが、ドラムセットが、そのまま『サラヴァ!』で使用されたとも言われているくらいだ。

そうやって、初めてのアルバムで、彼の未来を決定づける3人が集まった、それだけでも思い出深いアルバムだったに違いない。『はらいそ』の発売が 4 月、『サラヴァ!』が6月、そして、坂本の初となるアルバム『千のナイフ』が10月と、立て続けに3人にとって、いや、日本のポップ・ミュージックにとって重要なアルバムが続いた。そして、11月には『イエロー・マジック・オーケストラ』の発売に至る。この3人に限らず、ぼくらが予想もできないような全く新しい景色が、その向こうには待ち構えていた。それを思い起こすだけでも、ぞくぞくする。

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